毎日のように驚かされる出来事を誰かに言いたくて(笑)
(No525) 増上寺 その5
2014年08月16日 (土) | 編集 |
What's up


本日は増上寺その4の続きです


徳川将軍家霊廟の特別拝観を機に


見学をして来ました


徳川家の菩提寺だけあって


二代秀忠、六代家宣、七代家継


九代家重、十二代家慶、十四代家茂の


六人の将軍の墓所が


設けられていました





帰国子女の私は日本の歴史は


サッパリなので手元の資料を


ほぼ丸写しですが


左下から順番に説明したいと思います








徳川しばりに苦戦しつつも





左下にの宝塔には



▲将軍生母側室等の宝塔



▲将軍生母側室等の宝塔


将軍の側室としては


代家光の桂昌院


代家宣の月光院など


その他、将軍の子女を含む


人が


眠っているそうです


その右隣に眠っているのが



▲14代家茂夫人静寛院



▲14代家茂夫人静寛院(和宮)の宝塔



▲14代家茂夫人静寛院(和宮)の宝塔


和宮は幕府の“公武合体”政策により


婚約者が居たにも関わらず


天皇家から徳川家に


嫁がされたそうです





後ほど夫の家茂の宝塔も


ご紹介しますが


家茂のに比べると青銅製で


物凄く立派なものでした





和宮のお墓は


明治になって作られたので


皇室がその費用を


負担されたからなんだそうですよ





その為、和宮のお墓にだけ皇室の証



▲菊の紋章


が宝塔に刻まれていました


そしてそのお隣に眠っているのは


和宮の夫



▲14代家茂公



▲14代家茂公の宝塔



▲14代家茂公の宝塔


和宮の宝塔とは違い簡素な石塔でした


家茂公歳、和宮さんは歳と


共その生涯は短くて


結婚生活も僅か年半位だったそうですが


とても仲の良い夫婦だったそうです





例え政略結婚だったとしても


仲良く過ごせたなら救われますね





余談ですが・・・


和宮がコチラへ埋葬されたのも


夫の側に葬って欲しいという


本人の遺言からだったそうです


ただですねぇ・・・


そんなおしどり夫婦の間柄であっても


お墓の造りで当時の政治状況が


伺えるなんて興味深いと思いませんか


でも夫婦でこの待遇の違いは





本日最後の紹介は



▲6代家宣公



▲6代家宣公夫妻の宝塔



▲6代家宣公夫妻の宝塔


代将軍徳川綱吉が打ち立てた


動物をいじめたら





という


悪評の高かった生類憐れみの令を


廃止したのが家宣公だったそうです


そんな訳で庶民からの人気と


期待は高かったそうですが





将軍職について


たったの年で病に倒れ


そのまま生涯を終えたそうです





そうそう


墓所の中央には当時の霊廟の写真が


紹介されていた事を前回書きましたが


それがコチラです





全て代家宣公のものになります



▲文昭院 霊廟 拝殿内部



▲文昭院 霊廟 相之間内部



▲文昭院 霊廟 唐門側面


今じゃ考えられないくらい豪華ですよね





将軍歴がたった年とはいえ


当時の権力が見て取れます


次回は残り右半分のご紹介です


今日の一言


『死んでなお 墓見て分かる 権力差


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コメント
この記事へのコメント
こんばんわ^^

連日の増上寺の解説おつかれさまです~
この数日分だけでもそこらの増上寺ガイドブックより
詳しいんではないでしょうかね^^;

自分が漠然と思ってた以上に徳川家の人達の墓が
境内にあるんですねえ!^0^
私も歴史勉強も兼ねていつかちゃんと境内見て
回りたいものです^^y
2014/08/16(Sat) 22:48 | URL  | コマソン #JalddpaA[ 編集]
コマソンさんへ
今晩は☆彡
いやいや!そんな事ないですよ(^^;
手元の資料ほぼ丸写しなので(笑)
ただ、自分の言葉に変えているだけです^^

でも本当に徳川の歴史が長すぎて
書いているうちに誰が何をしたのか
だいぶ混乱しましたよ(><)
徳川縛りは当分遠慮したいです(笑)
2014/08/17(Sun) 19:27 | URL  | みなりな #sSHoJftA[ 編集]
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