

2016年11月15日 (火) | 編集 |


先日、私は行きたくないと
毎回かつ散々言っている

出張を命ぜられ仕方なく
またまた行って来ました

そんな大阪出張を私に
押し付けた理事長は
出張という名のラスベガスの
旅へ飛び立ちました


かなり頭に来たので
シルバーウィークに
休日出勤をした分を出張に
くっつけて休んでやりました


そんな訳で
土日の


で過ごし月曜は
大阪で仕事をして
東京に戻ったのですが
今回は旅行記やりません


行った所を紹介するとなると
北海道旅行記並に
長編になってしまいますので
自分なりに面白かったものを
説明を程々に写真多めで
いくつか紹介して
いきたいと思います

土曜日の朝

に着くと
凄く良い天気で
日中の気温は


暑いぐらいでした


そんな中
江戸初期に建てられた

▲表門
をくぐり
少し色付き始めた

▲紅葉
を見ながら目的地である
平安時代後期
天喜元年、西暦




時の関白
藤原頼通によって建立された
我が国国宝の一つ

▲平等院鳳凰堂
に到着しました

皆さんご存知の

▲10円硬貨
のデザインであります


角度を変えて眺めると
分かりやすいのですが

鳳凰堂は目の前に広がる
阿字池(あじいけ)の
中島にあり
極楽の宝池に浮かぶ
宮殿のように見えると
言われています


この日は風もなかったので
阿字池に浮かぶ

▲平等院
も見事でした


ちなみに別料金を支払うと
写真は撮れませんが
鳳凰堂の中に
入る事が出来ます

ですが

実は平等院に来たのは
初めてではなく
鳳凰堂の中も以前
見学しているので今回は
入りませんでした

阿字池の挟んで正面の

▲矢印部分
をカメラの望遠で
覗いてみると国宝の

▲阿弥陀如来坐像
が安置されております

また忘れてはならないのは
鳳凰堂の中堂大棟の屋根の
南北両端に設置されている

▲鳳凰
平安時代に作られた
国宝である初代鳳凰は
大気汚染による錆害の為
取り外され境内にある
平等院ミュージアム鳳翔館に
保管されており
そちらで見る事が出来ます

その為、現在のものは

▲レプリカ
ではありますが
金箔が施され
キラキラ光っていてるので
それはそれで
キレイだなぁと思いました


今回は旅行記ではないので
あまり、うんちくを
語りたくないのですが
鳳凰の下に変わった形の

▲龍頭瓦
降棟(くだりむね)の
先にある瓦は
鬼面が一般的ですが
鳳凰堂の場合は
前後一対ずつ合計

龍頭瓦が飾られておりました

それに龍頭瓦は現存
最古級かつ最大なんですって



阿字池を中心にぐるっと
周りながら歩いていくと
普段はお目にかからない

▲側面
を見る事も出来ます

そのまま裏側に行く途中
左手に出てくるのは
桃山時代に創建された

▲旧南門
江戸時代初期伝来の
各種古図と比較しても
場所、規模ともに
変動がないとの事なので
周りが整備されてはおりますが
当時のまま残っていると
いう事でしょうか


この門に限らず
先程もチョロッと書きました
平等院ミュージアム鳳翔館や
浄土院や最勝院などの
塔頭があったり
大きくはありませんが
見所が沢山あります

ただ、先程からの
繰り返しになりますが
旅行記ではないので
今回は紹介致しません


最後は鳳凰堂の

▲裏側
を眺めながら
表門へと向かいました


この後、歩いて
宇治神社、宇治上神社
縣神社なども行きましたが
いつか気分が乗ったら
紹介したいと思います

今日の一言
『秋の空 極楽見るや 平等院

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2016年11月21日 (月) | 編集 |


平等院の記事から少し
間が空いてしまいましたが
本日は続きです

少々暑いぐらい秋晴れの
素晴らしい天気で



打って変わった翌日
ふと携帯を見ると



寒暖の激しさに思わず
風邪ひくわ

と、独り声に出して
ツッコんでしまいました


雨は降っていなかったものの
どんよりと曇った天気のなか
とある場所の

▲境内入口
に辿り着きました

階段を上り鳥居をくぐると
目の前に出てくる

▲拝殿
ここは何処かと言いますと
あの天下統一を果たした

▲豊臣秀吉公
が眠る

▲豊国廟(ほうこくびょう)
でした

前回からお伝えしておりますが
今回は旅行記ではないので
詳細は省きたいと思います


ですが

いつもみたく
詳しく知りたい

という方の為に簡単な
説明を載せますので
興味のある方はどうぞ




▲豊国廟について簡単な説明
(登拝券より抜粋)
話を戻しますが
授与所の中の人に
往復で



かかりますが
秀吉公の所まで行かれますか

と、尋ねられました

正直言って

▲登り口
を見ただけで
既に心が折れかけて
しまっていた私ですが
授与所の人に
階段の頂上を指差しながら
あの見えているのが
ゴールですか


と、尋ねたところ
そうです


と言うので
頑張ってみる事にしました


登拝料



いざ登り始めて数分後
最近は忙しくてダンスを
サボっていたせいもあり
完全なる体力不足で
心臓バクバク、息も絶え絶え
登った事を激しく

しました

途中、上から降りて来る
家族とすれ違ったのですが

と、挨拶をされました

それまでヘロヘロでしたが
何か変なプライドが邪魔をし
登るの全然苦じゃありません

ぐらいの勢いで
シッカリと挨拶を返しました

また、私の後方には





子供を


ほぼ同じペースで
登っていたのですが
途中で子供達が
飽きてしまったようで
ま~だ~

もう疲れた~

帰ろうよ~


と騒ぎ始め
父親だと思われる

後でお菓子買ってあげるから

と、なだめておりました

きっと父親が秀吉公に
会いたかったんでしょうね

そうこうしているうちに
やっと頂上まで辿り着き
秀吉公のお墓と
ご対面と思いきや
前方に現れた一つの

▲門
ま、まさかねぇ

と呟きつつ

を感じながら
恐る恐る門に近づくと
そこはお墓なんかではなく

▲中門
が佇んでおりました


更に中門の後ろには
頂上へと続く階段が
伸びているではないですか


登り口から見えた先は
頂上ではなく中門がある
この場所だったみたいです

授与所のオジさんに
すっかり騙されました


が

ここまで来て諦めるのも
悔しいので意を決して

▲階段
を上る事にしました


そしてついに姿を見せた

▲大五輪塔(豊臣秀吉の墓)
頂上に着いた直後は
肩で息をするのがやっとで
秀吉公のお墓の前で私自身が
昇天するかと思いました


後で分かったのですが
この場所は
東山三十六峰の

阿弥陀ヶ峰の
標高



山頂にあったそうなので
もう山登りと言っても
過言ではないと思います


さぞかし景色が
良いと思いきや
木が茂るに任せてあるので
何の景色も見えず



曇り空だったという事も
多少はあると思いますが
別の角度から木々の間を
覗いてみても
こんな感じでした



何だか伏見稲荷大社を
思い出しました


ところで頂上には
豊臣秀吉の墓以外何もなく
石柵の周りを歩き

▲後ろ
を通ると一ヶ所だけ
柵が開いているのを
発見しました



開いている箇所から中に入ると
高さ



▲大五輪塔
目の前にする事が出来ました

大五輪塔前の香炉には
豊臣家の家紋である

▲五七の桐
がシッカリと
刻まれていました

それから
お供え物には沢山の

▲ビール缶
秀吉公はビールが
お好きなのかしら



秀吉公に挨拶した後
再び恐怖の階段が



▲階段
の上から見下ろすと
上る時よりも
下りる時の方が角度が
急なのが分かります

何とか無事に下まで
辿り着きましたが
私の足は生まれたての
小鹿のようにプルプルと
震えておりました


階段を背に右を向くと
ひっそりと佇む小さな

▲五輪塔
見落としてしまう人が
多いそうです


▲(左)秀頼の子・国松丸
(右)秀吉側室・松の丸
国松丸は豊臣宗家では
最後の直系

大阪夏の陣の折
当時まだ

かかわらず徳川陣に
処刑されたそうです


国松丸の遺体は松の丸さんが
引き取って供養した事から
お隣同士で
並んでいるんですって

ところで
授与所で登拝料を支払った際

▲登拝券
を頂きました

先程ご紹介した簡単な
説明書きの下には
恐ろしい数字が




でも、これで驚いてはいけません


パンフレットによると
実際階段は




と記載がありました


多分、鳥居の所の階段等を
含めた数だと思いますが
そんだけ階段を往復すれば
生まれたての小鹿のように
プルプルしますって

話が少しズレますが
GWに親友が遊びに来た際
日光東照宮にも行ったのですが
その時、徳川家康公のお墓に
行くかどうか悩んだ結果



上らなくちゃいけないと聞き

って感じで止めたんですよね

今考えれば豊國廟の
半分の段数だったので
余裕で登れたかなぁと
しみじみ思いました


そんな訳で豊國廟の頂上から
登り口まで戻って来た時には
寒かったはずなのに
途中ジャケットを脱いで
汗を拭うほど暑かったです


写真を考えると平等院に
行った時のような秋晴れが
望ましかったですが


登っていたら
死んでたかもですね

ある意味
天気が悪い日で本当に

そうそう

豊國廟はその名の通り
お墓はありますが
豊國神社という豊臣秀吉公を
祀ったお社は別にあります


ですが授与所では
御朱印を頂けました



▲豊國廟の御朱印
通常右上には
奉拝と書かれておりますが
豊國廟の御朱印には
登拝と書かれておりました

登らなきゃ拝めないと
いう事でしょうか


実際



登って来たのだから
まぁ、あながち
間違いではないですよね


この後
新日吉神宮、妙法院門跡
智積院の他、血天井で
有名な養源院なども歩いて
行きましたが前回同様
いつか気分が乗ったら
紹介したいと思います

今日の一言
『秀吉の 墓に行くのは 一苦労

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2016年11月25日 (金) | 編集 |


前回の豊國廟で

▲豊臣秀吉公
のお墓を紹介したのだから
戦国武将の一人
アノ人のお墓も紹介しなくちゃ
って、その前に

滞在中に向かった先は
大徳寺の塔頭の一つ
通常は非公開で入れない

▲総見院(そうけんいん)
大徳寺は京都でも有数の
規模を有する禅宗寺院で
境内には
別院



合計


そのうち
一般公開しているのは
龍源院、瑞峰院
大仙院、高桐院の

後は全て非公開です


ところが私が滞在中
期間限定で総見院を
特別公開しておりました


そんな総見院ですが

既に気付いちゃった方も
いたかと思いますが

▲信長公廟所
とあります通り

▲織田信長公
のお墓があるのです

という事で
こちらが織田家のお墓です



中心に建っているのが

▲織田信長公の墓
秀吉公のに比べると
随分と小さいですよね

ところで
何度もお伝えしている通り
今回は旅行記ではないので
うんちくを語りたくないのですが
皆さんが混乱しないよう
少々歴史をご紹介致します


皆さんご存知の通り
信長公は本能寺の変で
遺体が見付かっておりません

なので全国各地に
信長公の所縁の地には
ここ総見院を始め
信長公墓所が各地に
結構あるそうです


信長亡き後の政権争いの中
秀吉がその主導権を握る為
信長の一周忌に当たる
天正






秀吉が建立したのが
総見院となるそうです

また、誰よりも早く信長公を
祀った事から各地にある
信長公の墓所の中で総見院が
菩提寺となるそうです


ちなみに
信長公を真ん中に
織田信長一族供養塔は
こんな感じです



▲クリックすると
大きく表示されます
正面からだとカメラに
収めきれなかったので
実際の一族供養塔を
斜めから写メしてみました



信長公のお墓を正面に
左手にあるお墓は

▲(右)正室 帰蝶(濃姫)
(左)側室 お鍋の方
正室の帰蝶のお墓は
塔に対して
側室お鍋の方のお墓は
見た目ただの石


お墓に入ってまで
格差があるなんて何だか
ちょっと怖いですよね


このお二人のお墓の
反対側に建っていた

▲御息女 徳姫様のお墓
何故か他の方達と離れて

と、隅っこの方にありました

お墓参りが済んだところで

▲本堂
の方に行ってみましたが
残念ながら中の撮影は


▲扁額
その代わり住職の方から
先程ご説明した
織田信長公の歴史や
お墓についてのお話など
教えて頂き大変

また本堂には
秀吉が奉納した

▲木造織田信長坐像
(参考資料)
が安置されております

大きさは高さ三尺八寸
約



慶派の仏師である
康清によって

作られたそうです


ですが

そのうちの

信長公の葬儀の際
本能寺の灰とともに
荼毘にふされたそうです

もっと分かりやすく
言い換えるなら
ご遺体代わりに
火葬したそうです

という事は
燃え残った灰やカスが
お墓の中に
入っているんですかね


そんな疑問をご住職に
ぶつけてみたかったのですが
周りに沢山の人達がいて
聞ける雰囲気ではなかったので
それは分からずじまいです

ちなみにこの像は
香木の沈香(ぢんこう)を
使って作られているそうなので
燃やされる際は
洛中一帯に広がったと
言われてるんですって


総見院には他にも
創建時の姿を残している
土塀や井戸を始め
秀吉が茶を立てたとの
記録が残る茶室や
日本最古の
胡蝶侘助など
見所が沢山ありますが
旅行記ではないので
紹介致しません


また、総見院と同じく
大徳寺の塔頭で
通常非公開の黄梅院が
期間限定で公開していたので
そちらにも足を運びましたが
いつか気が向いたら併せて
紹介したいと思います

最後に
期間限定の特別公開の
時しか拝めない
信長公のお墓参りと
いつでも行けるとしても
体力勝負がカギとなる
秀吉公のお墓参り
皆さんはどちらに
行きたいですか



今日の一言
『菩提寺が 各地にあるよ 信長の

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2016年11月29日 (火) | 編集 |


毎度、毎度
関西に行く度に
ご飯が合わなくて
苦労している私ですが
あくまでも好みの問題なので
こればっかりは仕方がないと
半ば諦めております


でも、全てが
合わない訳ではなく
関東人の私でも

と思えるものもブログで
ご紹介して来ました

それを踏まえて本題です

京都

お昼も食べずに歩き回って
お腹が空いた私は近くに
美味しい食事が出来ないか
スマホで検索をしたのですが
何処も私がいた場所から
離れておりました


空腹に耐えきれなかった私は
近くにあった

▲某お店
に入る事にしたのですが
これが大失敗でした



▲エビフライ
&
クリームコロッケ定食
見た目は凄く
美味しそうだったので
早速口に入れてみると
ご飯はパッサパサ


エビフライは細い細いエビで
ほぼ8割ぐらいが衣

クリームコロッケは
クリームではなく何かの
固まりが出て来る始末


自分で作った方が
遥かに美味しいです

ふと周りのテーブルを見渡すと
私以外に

お客がいましたが
明らかに観光客と
思しき様子だったので
これはやられたな
と思いました


関西飯云々ではなく
余りの不味さに最後まで
食べる事が出来ず




店を後にしました

敢えてお店の名前は
公表しませんが
写真を見て分かる人には
分かって頂けたらいいなぁと
思います

翌日は同じ失敗を
繰り返さない為
持ってきていたPCを使って
しっかりリサーチしました


▲八坂の塔
から歩いて
約

老舗蕎麦処

▲ひさご
調べたところによると
とても口コミが良く
常に人が並んでいる状態で
蕎麦屋なのに
約


親子丼を注文すると
ありました


この日もお昼抜きだったので
早めにお店に入ったところ

▲店内
直ぐに席に通されました


もちろん注文したのは

▲親子丼
ところが

想像とは全く違うものが
出て来ました


上手く言えないのですが
関東人なら分かってくれるはず

見た目からして何かが違うと



お鍋をやった後の出汁に
ご飯を入れて
その上に緩~い卵を
掛けられた感じとでも
言ったらいいのでしょうか

以前ご紹介した

▲鳥茶屋
の親子丼と比べても
見た目からして
全然違うのが
分かりますよね

出汁も凄く甘いですし
ご飯も卵も全体的に緩いので
甘いおじやを食べている
錯覚に陥りました


せめてもう少し卵が
固かったら違った印象を
受けたかもしれません

山椒を掛けてお食べ下さいと
言われましたが
甘ったるさの前では
焼け石に水でした

でも、これがきっと
関西風なんでしょうね

逆に関西出汁が好きな方には

の一品だと思います

(※あくまでも個人の感想です※)
実際、私が店内を出ると
口コミ通り凄い
行列が出来ていました

これが始めに紹介した
不味いお店との差ですよね

ただですね今回も
私の口には関西風の
親子丼は合わなかったですが
これからも諦めず自分に合う
食事を探そうと思います


ですが自分の好みに
合わなかっただけとはいえ
少々肩を落として
ホテルに戻る途中
京都駅で買った中村藤吉の

▲生茶ゼリイ 抹茶味
を部屋で食べましたら

最高の〆のお陰で
気分も大分復活でき
その後眠りに付きました

今日の一言
『つい買うよ 中村藤吉 生茶ゼリィ

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2016年12月02日 (金) | 編集 |




観光を楽しんだ翌日
今度は仕事の為に

へと移動しました


という訳で
観光は全くしなかったので
カテゴリーと少々ずれますが
そこは大目に見て下さい


そして話がいきなりズレますが
京都に着いた初日
ホテルのエントランスに
入った瞬間

キャリーバッグの後輪部分が

▲参考資料
えぐれて取れるという
意味不明な事態になりました


京都滞在中はホテルに
置きっぱだったので
全く問題なかったのですが
大阪にいる間は
仕事道具が入っていたので
担いで歩かなくてはならず
本当に大変でした


大学病院と専門学校を
いくつか周り
疲れ果てた私は
ここは美味しいものを
食べなきゃやってられない

と思い
今までハズレ無しの
ペリーのいくら丼か
つるとんたんか
悩んだのですが

どちらも
私がいる位置からは遠く
ここは賭けに出るしかない

という事で
スマホで調べて
あらうま堂というラーメン屋に
行って来ました


外観の写真を撮り忘れましたが
今回注文したのは
一番人気だという醤油ラーメンの

▲あらうまラーメン
でも醤油とは
思えないぐらい色が薄くて
ビックリしました



先ずはスープを一口飲むと
スープが温い

そしてアッサリ味と言えば
聞こえが良いですがが
実際はかなり薄い


周りを見渡すと
時間帯のせいか

あとは無表情の
オジさんばかりが
黙々と食べていました


オジさん達の表情からは
美味しいのかどうかが
一切伝わらず
このスープの温さは
普通だったのか結局
分からず仕舞いでした



麺はストレートの中麺で
可もなく不可もないのですが
スープになかなか絡まず
食感だけが
口に広がる感じでした


(※あくまでも個人の感想です※)
思い起こせば

平成っ子とUSJに行った時以来
大阪で食べる

ラーメン屋でしたが
大阪のラーメン屋のスープは
基本温めなのでしょうか


友人達にその話をすると
もう関西飯は
口に合わないんだから
冒険せずに
美味しいと感じた店だけを
リピートしろ

と言われるのですが
同じ店ばかりじゃ
つまらないですよね

そんな訳で私は
まだまだ諦めませんよ

これからも
自分好みのお店を
見付け出す旅にいざ

今日の一言
『熱々の ラーメン食べたい 大阪で

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