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 (No656) 両国記 ~プロローグ~
2015年01月25日 (日) | 編集 |
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突然ですが





とある駅のホームから見える



▲景色


どこだか分かりますか


答えは・・・



▲大相撲 初場所


が行われる両国駅の


ホームからの景色でした


左側に見える


武道館に見えなくもない建物が


両国国技館で反対側に見える建物が


江戸東京博物館ですね





この日、両国を訪れたのは






▲大相撲 東京 初場所 初日


チケットを握り締めて


大相撲の観戦に来たからでした





生で相撲観戦なんて初めてだし


両国駅に降りたのだって


小学生の時以来だったので





が止まりませんでした


そして改札を出ると壁には





と、大きな



▲横綱 若乃花の写真


が飾られていました


正直誰だか分からないですが


ちなみに・・・


どれぐらい大きな写真かというと


これぐらいです








アピール感がパネェっす


せっかくなので写真の力士を


紹介したいと思います



▲横綱 白鵬



▲横綱 武蔵丸



▲関脇 三重ノ海


なぜ最後が関脇なのか


なぜラインナップが


この人なのか不思議ですよね





他にも歴代横綱の



▲手形


が飾られていたり


横綱の身長と



▲背比べ


が出来たりと


まだ改札すら出ていないのに


一人駅構内で


楽しんでしまいました


西口改札を出ると


そこには可愛らしい



▲力相撲像



▲力相撲像


いかにも力士の街っていう感じが


伝わってきます


その隣には外国人が好きそうな



▲顔出しパネル


実は私も顔出しパネルがあると


つい写真を撮ってしまうのですが


まだ友人と合流前だったし


こんな時に限って誰も近くを


通らないんですよね





顔出しパネルを諦めた私は



▲両国駅


を後にしました


ところで・・・


友人との待ち合わせ時間まで


大分時間があったので


直接国技館には向かわず


先ずは両国駅周辺を


堪能する事にしました





そんな訳で本日から


両国記を始めたいと思います


今日の一言


『ワクワクと 相撲の聖地 両国へ


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 (No657) 両国記 ~回向院その1~
2015年01月26日 (月) | 編集 |
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本日はプロローグの続きです


両国駅を後にした私が向かった先は


回向院
(えこういん)


今から約年前の


明暦年、西暦年に


開かれた浄土宗の寺院で


回向院周辺は処刑場だったのは


有名な話ですよね


また、江戸時代に振袖火事と呼ばれる


大火のせいで万人以上の


犠牲者が出てしまったそうなのですが


時の将軍



▲4代 家綱公


の命により


この災害により亡くなられた


身元や身寄りのわからない人々の


亡骸を手厚く葬るようにと


建てられたのが


回向院の始まりなんですって





家綱公は徳川家の中でも


稀に見る良い将軍だったみたいですね


そんな回向院の



▲山門


をくぐると


一際目立つ



▲力塚


明治に入り


両国国技館が建てられるまでは


ここ回向院の境内で


勧進相撲が興行されていたそうです





それが今日の大相撲の起源だそうで


昭和年、西暦年に


大日本相撲協会が歴代相撲年寄の


慰霊の為に建立したんですって


この力塚の隣に建っている



▲聖観世音菩薩立像


先ほどご説明した振袖火事で


亡くなった方達を見守る為に


平成に入って新たに


安置されたんだそうです


そして・・・


ひっそりと建っている



▲木遣塚


特に説明書きも無かったので


分かりませんが


どんな由来があるのでしょうね





ちょっと見辛いかもしれませんが


体の石仏に囲まれた



▲慈母観音像



▲慈母観音像


木遣塚同様


特に説明書きが無かったのですが


名前からして子供を護る観音様と


いったところでしょうか





他にも境内には


江戸時代の浮世絵師



▲鳥居清長碑


というのがありました


鳥居清長の墓は元々


この回向院にあったらしいのですが


回向院が被災・移転を繰り返すなか


失われてしまったものを


現在は慰霊碑という形で


建立したそうです



▲鳥居清長 作


私は浮世絵について


全くもって詳しくないのですが


検索してみると結構ヒットしたので


有名な画家だったみたいです


この碑の向いに建っているのは


宝暦年、西暦年に


建立された



▲塩地蔵


腐食が大分進んでいますが


参詣者は願い事が成就すると


塩を供えたことから塩地蔵と


呼ばれるようになったそうです





ちなみに・・・


東都番中


番目の塩地蔵とあったので


都内に塩地蔵があと体も


あるという事なんでしょうか





この塩地蔵の後には





時代劇によく出てくる


義賊として有名な


あの人のお墓が








答えは次回へと続く・・・


今日の一言


『両国の 相撲の起源は 回向院


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 (No658) 両国記 ~回向院その2~
2015年01月27日 (火) | 編集 |
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本日は回向院 その1の続きです


前回ご紹介したコチラのお墓







答えは





時代劇によく出てくる


義賊として有名な


鼠小僧次郎吉の墓でした


皆さんの予想は当たりましたか





恥ずかしながら私は


実在する人物だったなんて


知らなかったんです





資料によると・・・


寛政年、西暦年に


生まれ、その後


武家屋敷ばかりを狙う


盗賊だった事もあり


庶民の間では人気があったそうですが


天保年、西暦年に


浅草で処刑されたそうです


そんな鼠小僧のお墓の前にはこんな



▲立て札


お墓の前にある欠き石とも呼ばれる


お前立ちを削って財布や懐に入れれば


お金回りが良くなると


言われているそうです



▲鼠小僧次郎吉の墓


もちろん


私も削った粉を紙に包んで


お財布の中に入れています


これでお金回りが良くなったら


嬉しいなぁ





余談ですが・・・


江戸時代は犯罪者の墓を作る事は





だったそうですが


鼠小僧に限っては


歌舞伎や狂言で演目したところ


更に庶民の間で人気に火がつき


祈願対象としての墓の必要性が


出てきた事で供養碑が


建てられたんだそうですよ





そうそう


鼠小僧のお墓の隣には


江戸っ子なら一度は


聞いた事があるであろう


猫の報恩伝説で有名な



▲猫塚


がありました


昔は石の頭部に猫を模ったものが


あったそうなのですが


お隣の鼠小僧の前にある欠き石と


間違えて削られてしまったそうです





そんな訳で現在は形を留めていませんが


囲いが作られてからは


削られる事も無くなったそうです


猫の恩返しのお話しを知らない方は


良かったら読んでみてね





DSCF8043.jpg
▲クリックすると大きい画像が見れます


鼠小僧のお墓の近くに建っている



▲水子塚


寛政年、西暦年に


時の老中松平定信の命によって


造立されたもので水子供養の


発祥とされているそうです





この水子塚の反対側


鼠小僧のお墓の裏側を通って


所狭しと並べられた



▲お墓


の間を抜けると


大正年、西暦年に


関東を襲った



▲関東大震災供養塔


が建っていました


当時の住職の方が焼けた野原を歩き


亡骸を見つけては巡回回向し


また被服廠跡や隅田堤で


日夜読経念仏したそうです





それにしても


地震に限っては逃げようがないので


本当に怖いですよね





震災で亡くなった方達へ


哀悼の意を込めて


本堂へと移動しました


続く・・・


今日の一言


『欠け石を 削って持って 金持ちに


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 (No659) 両国記 ~回向院その3~
2015年01月29日 (木) | 編集 |
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本日は回向院 その2の続きです


本堂の中に入ると


宝永年、西暦年に


安置された



▲本尊阿弥陀如来


大きさは・・・


身の丈六尺五寸五分


蓮座三尺四寸五分


そんな風に言われても





と来る人は少ないと思いますが


身の丈


蓮台高さ


と言われれば


何となく想像しやすいのでは


ないでしょうか


とても大きな銅作りの坐像でしたよ





この阿弥陀如来像は


通称・釜六(釜屋六右衛門)さんの


作らしいのですが


正直誰だか分かりません


ですが


この方はあの歌人



▲松尾芭蕉


が読んだ句


「花の雲 鐘は上野か 浅草か」


にも出てくる浅草寺の


時の鐘も造ったんだそうです





ところで・・・


昔は本堂を背にして露天に


安置されていた



▲本尊阿弥陀如来


いわゆる濡仏様だったそうです


ただ関東大震災を始めとした


震災等により回向院は


ことごとく貴重なものが


焼失してしまったそうです





本尊 の阿弥陀如来は数少ない


残った諸尊像の一つの為


現在は本堂内に


安置しているそうです





ご本尊の背面には



▲千体地蔵尊


ご先祖の供養や家運や社運の


繁栄を祈願する人々によって


奉安されたものなんですって





ご本尊が安置されている



▲部屋


はさほど大きくなく


講堂のような造りなのですが


周りには沢山の



▲供養菩薩像



▲供養菩薩像


が飾られていました


表に出るとガラス張りの



▲念仏堂


中に入る事は出来ませんでしたが


ガラス越しに見える部屋は


こんな感じでした






▲念仏堂


念仏堂の天蓋の念珠は





スワロフスキー製の


クリスタルなんだそうです


洒落乙ですねぇ


正面には豪華な



▲仏壇


が見えるのですが


扉はガッチリ閉められていて


中を拝見する事は出来ません


中には絶対秘仏とされている



▲一光三尊阿弥陀如来像
いっこうさんぞんあみだにょうらいぞう
(参考資料)


が祀られているそうです





県にある善光寺の絶対秘仏の


御本尊と同じ姿をした


ご分身仏なんですって


拝顔叶わなくて





こうして回向院を堪能した後


駅に戻りがてら友人に


連絡しようと携帯を取り出したら


バッタリ境内で鉢合わせしました





私が本堂に方に行っていた時


すれ違いで鼠小僧のお墓参りを


していたそうです


そんな訳で友人と


運良く合流した私は


仲良くのんびり両国国技館へと


向かう事にしました


すると・・・


駅に向かう途中



▲力士像&手形



▲力士像&手形


が所々に道沿いにありました


歴代の力士の手形と土俵入り姿の


ブロンズ彫像に違和感がないのは





きっと両国が力士の


街だからなんでしょうね


続く・・・


今日の一言


『ご本尊 千体地蔵に 見守られ


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 (No663) 両国記 ~江戸東京博物館その1~
2015年02月02日 (月) | 編集 |
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本日は回向院 その3の続きです


回向院を後にした私達は


両国国技館に向かったのですが


途中、友人にこの後の予定を聞くと





力士の入待ちをするとの事


正直興味がなかった私は再び友人と


別行動を取る事にしました


そんな私が向かった先はコチラ






▲江戸東京博物館


後を振り返ると


あまり見る事はないと思われる



▲両国国技館の後


ここなら国技館も近いし


時間も潰せると思い我ながら


良いアイデアだぁあと思いました


ところで・・・


江戸東京って意味が重複して


いるような気がしてならないのは


私だけでしょうか





ちっぽけな疑問を抱きつつ


中に入ってみると


物凄く大きくて立派な



▲羽子板


思わず写真を撮ってしまったのですが





近くにいた外国人も


What a beautiful it is!!
(なんてステキなんでしょう!)


と感嘆な声を上げていました


そしてチケットを購入して


いざ博物館へ



▲入口


実際のところ沢山の展示物が


所狭しと陳列されていたので


今回は気になったものや


面白かったものを中心に


ご紹介していきたいと思います


先ずは


将軍の都と呼ばれるスポットで



▲徳川家康


が江戸幕府を開いてからの


江戸城を中心とした街並みなどを


知る事が出来ました


例えば・・・


世紀頃の


三代将軍 徳川家光の時代の



▲江戸図屏風


全てを写真に収める事は


出来ませんでしたが


豪華な大名屋敷の門や


人々が賑やかに行き交う様子が


描かれておりました





そうそう


こちらの木像についての記事


覚えていますか






▲徳川家康木像


レプリカではありますが


家康公が生前に作らせた


等身大と言われている木像を


ようやく見る事が出来ました





それから幕府を開いた時に


武家を統制するために定めた法令



▲武家諸法度(ぶけしょはっと)


ちょっと見辛いかもしれませんが


昔の人は字が凄くキレイですよね


でも現代人には読めないので



▲現代語訳


がキチンと書かれておりました


読んでみると結構興味深く


幕府がいかに強固なものだったか


伺い知る事が出来ました





先ほどご紹介した


徳川家康木像に続いて


増上寺の記事にも書いた



▲火消の図


ただこの絵に出てくるのは


め組ではなく千組だそうです


当時火消は四八組もいたそうで


以前紹介しため組は


現在の港区辺りの管轄で


この絵に描かれた千組は


現在の中央区辺りの


管轄だったみたいですよ





絵の裏側には


実際に火消が着ていた衣装


現代で言うところの



▲火消の制服


が展示されていましたが


現代の火に近づいても大丈夫な


熱に強い防火服がないうえ


火事と喧嘩は江戸の花と


例えられるぐらい火事が


多かった江戸時代は命懸けの


消火活動だったんでしょうね





他にも時代劇を見た事がある人なら


誰でも知っているであろう


この桜吹雪が目に入らぬかぁ記号





の台詞でお馴染みの


遠山金さんこと遠山金四郎の



▲起証文(きしょうもん)


なるものがありました


ですが起証文と言われても


大の大人ですら





と来る人は


いないのではないでしょうか


なので必ずと言っていいほど


どの展示物にも


こんな風に解説が書かれています






▲クリックすると大きい画像が見れます


思わず





と、声に出したくなるような


内容だったりするので


大人も子供も楽しめます


同じく時代劇には欠かせない



▲町方与力の十手
(まちかたよりきのじって)


ちなみに・・・


町方与力とは役職の事だそうで


町奉行の下で江戸の町を


取り締まっていた人達の事を


指すそうですが


江戸と大阪では町方与力の


役割内容が違ったみたいです


詳細は割愛させて頂きますが


十手一つにしても


色々背景があるんですね








忘れちゃいけないコチラの



▲看板


どこの看板か皆さん分かりますか





で、お馴染みの


越後屋の看板でした


でも越後屋って元々は


三越百貨店の屋号ですよね


正直こんなイメージで


いいんでしょうか





こうして人の波を掻き分けながら


まだまだ博物館探索は続きます


今日の一言


『遠山 金さん痔持ち 馬乗れず


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