

2014年09月15日 (月) | 編集 |



行ったの覚えていますか


え~・・・私はいつだったか
すっかり忘れてしまい
慌ててFacebookをチェックしました


そんな私ですが大分写真の
整理が出来たので皆さんに
ご紹介したいと思います

今回の旅行先は

そして

でした

旅行当日の早朝に出発だったので
前日は上野の駅近の
ホテルに泊まりました

その時の夕飯が
麺屋武蔵 武骨だったんですよ

レポートにも記載していますが
翌日関東に台風直撃の予報だったので
部屋から見えた

▲不忍池(しのばずのいけ)
の近くで煌々と輝いていた

▲弁天堂
に向かって晴れるよう
お願いしてから眠りにつきました


朝起きて窓の外を見ると
靄がかかっていて雲行きは
少々怪しかったですが
とりあえず雨は降っていませんでした


▲不忍池
朝になって気付いたのですが
池には蓮で埋まっていて
ちょっぴり驚きました


よくよく見ると所々に

▲蓮の花
が開いていました

ちょっと話がずれますが・・・
子供の頃から上野界隈は
春はお花見、年末は年始の買い物へと
よく親と一緒に来ていたし
上野動物園にも何度か行っているのに

不忍池でボートに乗った事もなければ
弁天堂にも行った事ないんですよね


デートスポットに行った事がないなんて
ちょっぴり

そんな感傷に浸りつつも

雨が降らなかったのは
勝運守護の神様が祀られている

▲弁天堂
のお陰と信じ
東京駅へと向かいました


今回乗った新幹線は


▲こだま
初めて乗りました

更に驚く事に席に着くと

▲ホーム下
には何やら部屋らしきものが

後で知ったのですが
掃除用具等を置いてあったり
従業員用の出入り口が
あったりするんですって


まだ新幹線が動いてもいないのに
楽しくて仕方なかった私は

▲おやつ
を食べたりしていました

そうこうしているうちに
雨がポツポツと降り出し

不安な気持ちになり始めた頃
新幹線がゆっくりと動き出たので

そしてお楽しみの

朝一に駅で買った

▲友人(左)と私(右)の駅弁
友人と弁当がかぶってしまいました

でもそんな事が気にならないぐらい
美味しかったです


▲いくら石狩鮨弁当

ところで・・・
今だから告白出来ますが
今回の旅行は全て友人任せだったので
正直どこに行くのか新幹線の時点では
分かっていなかった私


毎度の事ですが

旅行の行程が書かれた
しおりを事前に渡されていたのですが

当日自宅に忘れてくるという

そんな訳で・・・
呆れられながら向かう先を
知らされたのが今流行りの

▲伊勢神宮
果たして今回はどんな事が
待ち受けているか
皆さん乞うご期待


今日の一言
『不忍の 池で見付けた 蓮の花

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2014年09月16日 (火) | 編集 |


本日はプロローグの続きです

東京駅を出発して数時間後
到着したのは

▲豊橋駅
その後バスに乗せられて

連れて来られた先は
豊川稲荷の愛称で呼ばれる



行程表を持っていなかった私は
伊勢神宮に行くものと
ばかり思っていたので
ちょっとビックリしちゃいました

気持ちを切り替えて・・・

▲総門
この総門は
開創二百十余年後のものではなく
明治






改築されたものなんだそうです

門扉は欅木(ケヤキ)一枚板で
作られたそうなのですが
開けっ放しだったせいか凄さが
イマイチ伝わりませんでした


総門をくぐり右手に出て来た

▲鎮守堂
豊川稲荷の境内の鎮守として
曹洞宗の守護神である白山神社の
神様が祀られているそうです

その隣には大きな

▲鐘楼堂
昭和






寄進された新しいものだそうですが
こんな大きな鐘が鳴ったら
かなり遠くの方まで
聞こえるかもしれませんね


そうそう


▲参拝案内図
を確認すると・・・
敷地内が広い事が判明したので
時計回りに参拝する事にしました

お寺なのに大きくて立派な

▲一ノ鳥居
この鳥居は

江戸時代の
文久年間に建立されたものらしく
また、本殿手前にある

▲二ノ鳥居
は同じく江戸時代の
嘉永





建立されたものなんですって



それに神仏習合を目の当たりにすると
四天王寺を思い出しますね


ここだけ見るとお寺の境内とは
とても思えません


鳥居をくぐると左手に出てくる

▲豊楽殿(ほうらくでん)
文政





当時は旧本殿の祈祷殿として
使用されていたそうですが
移築された現在は大祭時の余興などに
使用されているんだそうです


また絵画格天井(かいがごうてんじょう)
いわゆる川越大師 喜多院の
天井のようなものが
そのまま保存されているそうですが
建物内にも入れないし資料もないので
どんな天井なのかは不明です


ちなみに・・・
建物は


見た目以上に大きい事が
分かるのではないでしょうか


また参道を挟んだ反対側には

▲法堂(はっとう)の側面
法堂については後日詳細を
紹介しますのでスルーします

豊楽殿の並びには
石を積み上げた

▲石碑
のようなものがありましたが
特に記載もなかったので
詳細は不明です


その隣に建っていたのは

▲みこし殿
その名の通りお神輿が
仕舞われているみたいでした


また途中、小さいけれど

▲庭
のようなものがあり
キレイに整備されておりました

本殿の近くには大きな

▲灯篭
石で造られていないのが
珍しいなと思い
思わず写真を撮っちゃいました

続く・・・
今日の一言
『大鳥居 寺の景色に 馴染んでる

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2014年09月17日 (水) | 編集 |


本日は豊川稲荷その1の続きです

突然ですが日本三大稲荷は
京都府の伏見稲荷大社
佐賀県の祐徳稲荷神社
そしてここ

室町時代の
嘉吉元年、西暦




開創された
愛知県の豊川稲荷こと
妙厳寺だそうです


妙厳寺の境内に祀られる鎮守は

▲豊川吒枳尼真天
(とよかわだきにしんてん)
別名、荼枳尼天(だきにてん)は
古来インドの仏教の女神様だそうですが
日本では稲荷信仰と習合し
稲荷神と同一視されるに至った事から
妙厳寺は「豊川稲荷」の名で
広く知られたそうですよ


上記の事から神社ではないのに
鳥居がある不思議な妙厳寺

そんな妙厳寺の大本殿について
ご紹介していきたいと思います


本殿の脇にはこれまた珍しい
狛犬ならぬ

▲狛狐(左)

▲狛狐(右)
出迎えてくれます

稲荷信仰というだけありますね


メインの本殿は前回ご紹介した
江戸時代からある鳥居と違い
明治






当山二十九世福山黙童禅師が
改築を発願したものだそうです


そんな訳で
昭和





完成した

▲豊川稲荷大本殿
総欅(ケヤキ)造りで、間口約


奥行約




丸柱は約





近代建築で比類のない広大壮大な
殿堂なんですって


確かに大きくて、全体を写すのに
かなり後の方に下がった記憶がります

新しい割りにはちょっぴり地味な

▲扁額(へんがく)
そして・・・
拝殿の手前に大きな

▲赤提灯
が掛かっていましたが
なぜ私はこの角度から
写したんでしょうね


また、大きな赤提灯を見ていると
浅草寺を思い出しますが
提灯の直径は


直径だけなら浅草寺の大提灯よりも
大きいみたいです


ただですねぇ・・・
浅草寺と違って拝殿前というか
頭上にぶらさがっているので
お参りしている間に落ちてこないか
ドキドキしちゃいます


ところで・・・
私の母親の実家は代々浅草で
商売していたと何度かご紹介していますが
私の祖父、曽祖父は日本家屋の欄間などを
手掛けていたそうで子供の頃から
その手の話をよく聞かされていた影響か
ちょっと気になる彫刻の数々




どの彫刻を見ても

正直、こういう所に納められたものと
比べる事は凄くおこがましいと思いますし
欄間とは全然違うと重々分かっていますが
私は祖父達の作品?を見た事がないので
こういうのを見て想像しちゃいます


話が少しずれてしまいましたが・・・
荼枳尼天が祀られている

▲拝殿内
地元の人の間では商売繁盛の
神として知られているそうです


続く・・・
今日の一言
『狛犬が キツネに代わって お出迎え

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2014年09月18日 (木) | 編集 |


本日は豊川稲荷その2の続きです

本殿を後にした私は奥の院に通じる
参道を歩いてみる事にしました

すると・・・
参道の両側に立ち並ぶ諸願成就の

▲千本のぼり
さながら京都の伏見稲荷が
赤い鳥居のトンネルならば
ここ豊川稲荷はお寺なので
のぼりのトンネルと
いうところでしょうか


ちょっと

今の良い例えじゃないですか


↑
(自画自賛)

そんな事を考えながら歩いていると
左手に見えてきたのは

▲宝雲殿
檀家と信徒さんの霊牌を安置する位牌堂で
仏事や法要等を行う殿堂だそうです

本尊に阿弥陀十三尊仏が
祀られているそうなのですが
拝顔する事は出来ませんでした


その並びに建っていたのは
江戸時代の
文久





建立された

▲禅堂(万燈堂)
間口






あるので全体を写真に収める事は
出来ませんでした



正面には豊臣秀吉公の
念持仏と伝えられる不動明王及び
文殊菩薩の像が奉祀されていると
資料にあったので
中を覗いて見てみたのですが・・・

▲禅堂(万燈堂)内
堂内は暗くて良く分からず


写真でもイマイチ伝わりづらいですね


ちなみに・・・
その名の通り座禅修行の
道場なんだそうですよ


そして同じ並びにある建物は
弘法大師をお祀りしている

▲弘法堂
お堂についての詳細が
資料に記載されていなかったので
分かりませんが

▲弘法堂内陣
の中央にはお顔まで拝顔出来ませんが
弘法大師像が祀られておりました

また弘法堂の脇というか外に
鎮座しているのは撫で仏の

▲おびんずる様

▲おびんずる様
体の悪い部分(治して欲しい部分)を
撫でると良くなるそうですよ


ところで・・・
先ほど紹介した禅堂(万燈堂)と
弘法堂の間にひっそりと建っている

▲宇賀神

境内図にすら載ってません


いつもなら詳細は不明です

で、終わるのですが少し可哀想なので
Wikiで調べてみたところ

穀霊神・福徳神として民間で
信仰されていた神ではないかと
推測されているとありました

穀霊神いわゆる五穀を司ることから
稲荷に宇賀神を奉っているのかも
しれませんね


但し、あくまでも推測です

これらの建物の並びの一番端に
建っている土蔵造りのお堂が

▲大黒天堂
お堂の前に立っている石像は
左右でお顔の表情が違う

▲大黒様(左)

▲大黒様(右)
手に触れ摩する事により福徳を
授かると言われているそうです

立て札には
『よこしまな我欲をもって祈願することなかれ』
と記載してあり
我欲をもって撫でると・・・
何か想像しただけで

それより私が一番悩んだのは
『オンマカキャラヤソウワカ』と
唱えながら大黒様を撫でるのですが
噛み噛み過ぎて
願いどころじゃなかったです


あと大黒様をさするのに
夢中にになり過ぎてお堂の中の
写真を撮りわすれました


一通りの建物を見学しお参りした後は
豊川稲荷で最も?有名な
霊狐塚へGO


▲霊狐塚案内碑
霊狐塚に続く

▲鳥居
をくぐり参道を歩いて行くと

▲霊狐塚案内石
狛狐さんとはまた違った
狐さんにお迎えされました



▲霊狐塚入口
次回いよいよ中に潜入します

続く・・・
今日の一言
『触る時 大黒様に 何願う


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2014年09月19日 (金) | 編集 |


本日は豊川稲荷その3の続きです

霊狐塚に一歩入った瞬間
視線を感じたので振り返ったら・・・

何だか一斉に見られた感じです


中央には一際目立つ


▲お狐様
近くで拝顔すると

迫力満点ですね



この

ここを訪れた人が入れた硬貨があり
それを木の枝などでうまく取り出せると
お金持ちになると言われているそうです


取れたお金はお守りにし

お礼としてその何倍かの硬貨を
この岩の隙間に隠しに
来なくてはいけないという
決まりがあるようです


それにしても右を見ても・・・

左を見ても・・・

霊狐だらけです


元々は全国の稲荷におられる枳尼眞天の
お使いに行く狐として



安置されていたそうです

その後信者が祈願と成就のお礼として
奉納した事をきっかけに
現在は




いるそうですよ

UFOキャッチャーなら
どれか



弧霊塚の中央奥には

▲石造の祠
が建っておりました

何か色んな意味で
パワーを感じる事が出来ました


そうそう

余談ですが・・・
昭和のはじめ頃には本物の
狐が飼育されていたんですって

弧霊塚を堪能した私が向かった先は
江戸時代後期の
文化






建立された

▲奥の院拝殿
元は本殿の拝殿だったのが
昭和





奥の院拝殿になったんだそうです

奥の院に施されている

▲彫刻(一部)
全て諏訪ノ和四郎という人の
作品?なんだそうです
この諏訪ノ和四郎という人なんですが
あの日光東照宮を親子三代に渡って
手掛けたらしいですよ


それだけではないと思いますが
諏訪ノ和四郎一族は
江戸幕府から匠の称号が与えられ
江戸幕府御用となり名実ともに
日本一の彫刻師となったそうです


ただですねぇ・・・
こんなに素晴らしい彫刻の数々なのに
見落としがちの梁の部分の

▲登り龍

▲下り龍
迫力と豪快さに圧倒されます



かく言う私も一度見逃してしまい
近くで掃除をしているオジサンに
話しかけられた時に
絶対に見なきゃ損

と力強く教えられ
慌てて写真を撮りに戻ったしだいです



▲拝殿内
この建物は祭典の行事が
行われる霊殿なんだそうですよ

そしてその近くに
こじんまりと佇む八角形の

▲納符堂(お札所)
詳細は不明ですが
その名の通り古いお札を
納めるのだと思います

その後、正面に建っている

▲景雲門
と呼ばれる門を通って
戻る事にするのですが

よく見たら裏門でした

続く・・・
今日の一言
『弧霊塚 みんなで一斉 お出迎え

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