(No521) 増上寺 その1
2014年08月11日 (月) | 編集 |
What's up


本日から


浄土宗の七大本山の一つで


上野の寛永寺と並んで


徳川家の菩堤寺として知られている


増上寺


始めます


今年の月と月に


撮った写真が今頃になってようやく


整理が出来ました


いつも遅くて本当に





東京タワーの記事でも


軽く紹介をしましたが


今回は掘り下げて行きますよ


ただ紹介の流れ上


月と月に撮った写真が


混在している為


季節感はバラバラです


前置きが長くなってしまいましたが


都営地下鉄大江戸線の改札を出て


増上寺がある


出口方面に向かう途中


通路の壁画には明治初期の


様子が描かれていました






▲東京名所芝神明宮之図



▲東京十二景 芝大門前


それらの絵を横目で見ながら


地上に出ると北側には


都営浅草線・大江戸線大門駅の


駅名の由来となった



▲大門


増上寺の総門・表門に


あたるんだそうです


実はこの門


昭和年、西暦年に


コンクリート製に作り直された


ものなんだそうですよ


本来の大門は


大正年、西暦年の


関東大震災により倒壊しかかった為


両国・回向院に


移築されたらしいのですが


結局空襲により焼失して


しまったんだそうです





この門をくぐり


日比谷通りを渡る手前には


江戸の町筋に設置され


暗い夜に明かりを燈した



▲常夜燈


が再現されていました


昼間は明かりが付いてませんが


夜は江戸の雰囲気が


感じられるかもしれませんね



▲日比谷通りの様子



▲増上寺石看板


日比谷通りを挟んだ向かい側には


慶長年、西暦年に


徳川家康が建立させた当時のもので


東京都内最古の建築物にして


東日本最大級を誇る



▲三門(三解脱門)


高さメートルも


あるんですって





正式名称は三解脱門と


言うそうなのですが


つの煩悩


『貪り』『怒り』『愚かさ』を


解脱する門のことを言うそうです


また、増上寺が江戸の初期に


大造営された当時の面影を残す


唯一の建造物なんだそうですよ





階内部(楼上)のには



▲釈迦三尊像(参考資料)


他にも十六羅漢像及び当山歴代上人像が


奉安されているそうなのですが


全て非公開





三門をくぐり境内に入ると左手に



▲水盤舎(すいばんしゃ)


もと徳川綱重(徳川家光三男・清揚院)の


霊廟にあったもので戦争時の


空襲を逃れ現在地に移築したものを


使っているそうです


なんて粋な





参道を挟んで


この水盤舎反対側にあるのが


寛永年、西暦年に


代将軍徳川家綱の命により造られた



▲鐘楼堂


現在のものは戦後


再建したものなんだそうです


写真を撮った時期はまだ咲いていない


桜の木の枝が邪魔だったので


別角度からも撮ってみました



▲鐘楼堂


鐘楼堂に収められている



▲大梵鐘は


東日本で最大の


大きさなんですって





高さは約m、重さは約tも


あるそうです


延宝元年、西暦年頃


あまりの大きさに回の鋳造を経て


ようやく完成したんだそうです


この鐘楼は江戸三大名鐘の


つに数えられてるんだそうですよ


そして・・・


三門から真っ直ぐ続く参道の先には


徳川家の菩提寺として選んだ増上寺の



▲大殿(本堂)


現在の大殿は戦災に遭い焼失したものを


昭和年、西暦年に


再建したものだそうです


余談ですが・・・


大門から大殿本堂に至る道のりは


この世から極楽浄土に至る


世界を表しているんですって


三門をくぐり煩悩を解き放ちし


大殿阿弥陀仏の元へと


向かうという事らしいです





方角なんかも意味があるそうで


ただなんとなく建てている


訳ではないんですね






▲扁額(へんがく)


それにしても


バックに東京タワーなんて


徳川家康公も想像が


出来なかったでしょうね


京都にはない近代化と伝統文化の融合は


東京ならではですが


私は結構気に入っています





続く・・・


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『増上寺 東京タワーを 従えて


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 (No522) 増上寺 その2
2014年08月12日 (火) | 編集 |
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本日は増上寺その1の続きです


大殿(本堂)内に入ると正面に



▲木像阿弥陀如来坐像(本尊)


が祀られていました


このご本尊阿弥陀如来は





室町期製作のものなんですって






▲木像阿弥陀如来坐像(本尊)


本当に優れたもの


そして大切にされてきたものは


後世に残るものなんですね





そんなご本尊の左脇には


浄土宗の開祖と仰がれた



▲宗祖法然上人像



▲宗祖法然上人像


この人が始めに南無阿弥陀仏と


唱えたって事ですよね





ところで・・・


築地本願寺にもありましたが


お堂の脇には


m以上はあるんじゃないかと思う


大きな



▲火焔太鼓


写真だと見辛いかもしれませんが


とっても細かくて繊細な彫刻が施され



▲龍の文様


が入っておりました


築地本願寺では


チラッとしか見ませんでしが


こうやってジックリ見ると


圧倒されますね





そしてご本尊を挟んで反対の右側には



▲高祖善導大師像



▲高祖善導大師像


私は日本の歴史はおろか


宗教に関してはサッパリなのですが


宗祖法然上人に影響を


与えた人物らしいです





またこちら側の脇にもあった



▲火焔太鼓


やはりm以上は


あるんじゃないかと思うほどの大きさで


コチラ側の火焔太鼓も


とっても細かくて繊細な


彫刻が施されてました





ただコチラ側の火焔太鼓には



▲鳳凰の文様


が入っていましたよ


一体どんな音がするんでしょうね





一度聞いてみたいなと思いました


大殿(本堂)を出ると広々とした



▲境内


正面には三門こと


三解脱門が見えます


真っ直ぐ戻れば


現世に帰れるのでしょうか


そんな事を考えながら


増上寺見学はまだまだ続きます


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『本尊は 江戸幕府より 古きかな


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 (No523) 増上寺 その3
2014年08月13日 (水) | 編集 |
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本日は増上寺その2の続きです


大殿を出て左に行くと


徳川家康の院号


「安国院」からその名が付いた



▲安国殿(あんこくでん)


ちなみに


院号とは戒名の一つらしいです





安国殿は授与所にもなっていて


御朱印やご祈願の受付も


コチラで行っていました


現在の安国殿は年に


建立されたばかりだそうです


中に入ると・・・



▲安国殿内


正面には家康公個人が崇敬し


礼拝の為に身近に安置した


念持仏(ねんじぶつ)でもあったという


「黒本尊阿弥陀如来」が


祀られています


ところが


秘仏だという理由で


厨子の中に安置されている為


拝顔する事は





その代わり・・・


厨子の手前には



▲御前立(おまえだち)


が祀られておりました


黒本尊は勝運・厄除けの仏様として


江戸時代以来


広く人々の尊崇を集めたという事で


是非その姿を直接見たかったのですが





黒本尊が祀られている厨子の左側には



▲皇女和宮と位牌


黒本尊が祀られている


厨子には近付く事が出来ないので


ズーム機能を使っての


撮影になりますが





両脇は近くまで行く事が


出来るんですよ


せっかくなので


近くまで行って見てみると・・・



▲皇女和宮像


いつの時代に作製されたものか


分かりませんが


どうやら木彫りで


出来ているみたいでした



▲徳川家位牌


家康公の肖像と位牌を中心に


徳川家の位牌が所狭しと


並べられていました


黒本尊が祀られている厨子を挟んで


右側には立派な台座があり





近くまで寄って中を覗き込んでみると


ここにもアノ人が






▲聖徳太子像


築地本願寺でもそうでしたが


浄土真宗は聖徳太子と


深い繋がりがあるのかしら





そうそう


出入口付近の壁には徳川幕府


年の歴史が一目で分かる



▲将軍家系図


幕府が大政奉還を行ってから


年の現在まで


年も経っていない事を思うと


長きに渡っていかに徳川家が


繁栄していたかが分かりますね





そんな事を考えながら


安国殿を後にしました


続く・・・


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『家系図で 凄さ実感 江戸幕府


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 (No524) 増上寺 その4
2014年08月15日 (金) | 編集 |
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本日は増上寺その3の続きです


安国殿を出ると左手に



▲西向観音(にしむきかんのん)


と書かれた提灯をぶら下げた


門があります



▲西向観音(にしむきかんのん)


西向観音は子育てと安産の観音様として


祀られているそうです



▲西向観音


この観音様は鎌倉時代に


制作されたものなんだそうですよ





西向観音の門と並んで



▲徳川家霊廟 将軍墓所特別公開


と書かれた門が建っています


門の先には



▲子育て招福地蔵


西向観音像にちなんで


昭和年、西暦年頃から


増え始めたんだそうです


現在は体ぐらい


あるそうです


安国殿と子育て招福地蔵の間の



▲脇道


を通って大殿の裏側に出ると



▲徳川将軍家墓所前


その奥には旧国宝で青銅製の


鋳抜門(いぬきもん)と呼ばれる



▲徳川将軍家墓所入口


六代将軍の徳川家宣公の


宝塔前の『中門』であったものを


移築したんだそうです


ここでも粋な





左右の扉に五個づつの


徳川家家紋である


葵紋を配していましたよ



▲徳川家家紋


扉の両脇には龍が鋳抜かれていました



▲昇り龍


写真だと見辛いかもしれませんが


見事なものでしたよ





せっかくなのでお金を払って


見学をする事にしました


鋳抜門の脇にある別の



▲入口


から中に入ります


中は円を描くように


宝塔が配置されていました



▲参考資料


中は大して広くはありませんが


1つ1つの宝塔が大きいので


ゆったりとした造りになっていました



▲徳川将軍家墓所内様子



▲徳川将軍家墓所内様子



▲徳川将軍家墓所内様子


戦前にあった霊廟は


大殿の南北(左右)に


立ち並んでいたそうですが


reichomap.jpg
(地図をクリックすると大きい画像が見れます)


戦火で焼かれた為


詳細なる学術調査が行なわた後


一か所にまとめられ


現在の形に改葬されたんですって





墓所の中央には当時の



▲霊廟の写真


が紹介されていました


ちなみに旧徳川将軍家霊廟は


御霊屋(おたまや)とも


呼ばれていたんだそうです





という事で・・・


宝塔と当時の霊廟については


後日紹介したいと思います


そうそう


後を振り返ると



▲鋳抜門の裏側


光の加減で


どうしても見辛くなってしまいますが


表側とは違い家紋もなく


シンプルな造りになっていました


ですが扉の両脇には


やはり龍が鋳抜かれていましたよ



▲昇り竜


鋳抜門を背に上を見上げてみると


木々の間から



▲東京タワー


が見えました





何だか墓所にいるような気がせず


不思議な感じでした


今日の一言


『タワー下 静かに眠る 徳川家


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 (No525) 増上寺 その5
2014年08月16日 (土) | 編集 |
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本日は増上寺その4の続きです


徳川将軍家霊廟の特別拝観を機に


見学をして来ました


徳川家の菩提寺だけあって


二代秀忠、六代家宣、七代家継


九代家重、十二代家慶、十四代家茂の


六人の将軍の墓所が


設けられていました





帰国子女の私は日本の歴史は


サッパリなので手元の資料を


ほぼ丸写しですが


左下から順番に説明したいと思います








徳川しばりに苦戦しつつも





左下にの宝塔には



▲将軍生母側室等の宝塔



▲将軍生母側室等の宝塔


将軍の側室としては


代家光の桂昌院


代家宣の月光院など


その他、将軍の子女を含む


人が


眠っているそうです


その右隣に眠っているのが



▲14代家茂夫人静寛院



▲14代家茂夫人静寛院(和宮)の宝塔



▲14代家茂夫人静寛院(和宮)の宝塔


和宮は幕府の“公武合体”政策により


婚約者が居たにも関わらず


天皇家から徳川家に


嫁がされたそうです





後ほど夫の家茂の宝塔も


ご紹介しますが


家茂のに比べると青銅製で


物凄く立派なものでした





和宮のお墓は


明治になって作られたので


皇室がその費用を


負担されたからなんだそうですよ





その為、和宮のお墓にだけ皇室の証



▲菊の紋章


が宝塔に刻まれていました


そしてそのお隣に眠っているのは


和宮の夫



▲14代家茂公



▲14代家茂公の宝塔



▲14代家茂公の宝塔


和宮の宝塔とは違い簡素な石塔でした


家茂公歳、和宮さんは歳と


共その生涯は短くて


結婚生活も僅か年半位だったそうですが


とても仲の良い夫婦だったそうです





例え政略結婚だったとしても


仲良く過ごせたなら救われますね





余談ですが・・・


和宮がコチラへ埋葬されたのも


夫の側に葬って欲しいという


本人の遺言からだったそうです


ただですねぇ・・・


そんなおしどり夫婦の間柄であっても


お墓の造りで当時の政治状況が


伺えるなんて興味深いと思いませんか


でも夫婦でこの待遇の違いは





本日最後の紹介は



▲6代家宣公



▲6代家宣公夫妻の宝塔



▲6代家宣公夫妻の宝塔


代将軍徳川綱吉が打ち立てた


動物をいじめたら





という


悪評の高かった生類憐れみの令を


廃止したのが家宣公だったそうです


そんな訳で庶民からの人気と


期待は高かったそうですが





将軍職について


たったの年で病に倒れ


そのまま生涯を終えたそうです





そうそう


墓所の中央には当時の霊廟の写真が


紹介されていた事を前回書きましたが


それがコチラです





全て代家宣公のものになります



▲文昭院 霊廟 拝殿内部



▲文昭院 霊廟 相之間内部



▲文昭院 霊廟 唐門側面


今じゃ考えられないくらい豪華ですよね





将軍歴がたった年とはいえ


当時の権力が見て取れます


次回は残り右半分のご紹介です


今日の一言


『死んでなお 墓見て分かる 権力差


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